1.京都市向島の歴史を訪ねて
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京都市南部にある伏見区でも最も南に位置する向島がかつての歴史の要衝地であったことをご存知の方はあまりいらっしゃらないかもしれません。特に向島が栄えたのは豊臣秀吉が伏見城を居城とし、その出城として向島城を築城した頃の14世紀後半です。次に向島が栄えた時期は近現代、大正期以降の巨椋池を中心に栄えました。京都でも大きな巨椋池があることにより京都有数の漁港として栄えました。しかし、その地形から巨椋池はたびたび氾濫をし、昭和期に干拓されることとなります。その干拓は京都の疎水工事に並ぶ一大事業です。そうした先人の知恵が詰まった巨椋池、そして向島の歴史を訪れる観光名所にご案内しましょう。
2.14世紀の向島の歴史を観光
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1582年に主君織田信長が討たれた後、急速に勢力を拡大した豊臣秀吉は京都に彼の地盤を置きました。一つは京都に北に聚楽第を置き、ここに淀の方を住まわせました。そしてもう一つは伏見城で現在の伏見区にあたる場所に築城され豊臣秀吉自ら住んでいたと言われています。その伏見城の出城として築城されたのが現在の向島にあたる場所にあった向島城です。向島城は別名「指月城」と言われるほどに月が美しかった城です。なぜ月が美しかったのでしょうか。それは向島城から見える巨椋池に写る月が美しく映えていたからと考えられています。現在の京都の向島に向島城は残っていませんが、「観月橋」「本丸町」「二の丸町」とかつての向島城を思わせる地名が数多く残っています。そうした豊臣秀吉の息吹が残る向島を観光するのも良いでしょう。
3.近現代の向島を観光
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向島城が戦国期の役割を終えた後、向島には京都有数の大きな巨椋池だけが残りました。この巨椋池は漁港として人々に富をもたらすとともに、たびたび氾濫を起こす人々の悩みのタネとなりました。そこで昭和初期に巨椋池を干拓することを決めた京都は大事業に取り掛かります。巨椋池の干拓事業では、干拓した後に大雨で復活するなど困窮を極めました。現在の京都市向島に巨椋池の名残と言えば、干拓地に残る広大な田園風景といくつかの資料館です。これらの資料館を観光したり、巨椋池の地主の跡地を観光するのも良いでしょう。
4.京都市向島近郊のおすすめランチスポット~らんちょす~
ここからは向島を観光した際に立ち寄るべきランチスポットを紹介します。向島駅の近くにはあまりランチできる場所がないのが実情ですが、ここではその中でもわざわざ立ち寄るべき人気店をご紹介します。一つ目に紹介するランチスポットは「らんちょす」です。創作料理で有名ならんちょすは毎日多くの地元のお客さんでにぎわっています。旬の食材を使った創作料理は味、ボリュームともに大満足まちがいなしの一品です。早めに行かないと売り切れてしまう「らんちょす。創作和風セット」は1480円でもお値打ち価格です。
5.京都市向島近郊のおすすめランチスポット~おお乃~
次に紹介する向島観光の際に訪れるべきランチスポットは天ぷらの「おお乃」です。1320円の天ぷら御前は揚げたての天ぷらと茶碗蒸しの豪華なランチメニューです。揚げたての天ぷらは衣がさくさくです。京都市の中心から少しはずれたこの向島にあるレベルの高い天ぷら屋さんです。店構えが少しわかりにくいので事前に予約した上で、観光の際に訪れることをおすすめします。
まとめ~京都市向島の観光~
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現在の向島の中心は高度経済成長期に建てられた住宅が並んでいます。おおよそ観光地というにはかけ離れた姿を残しています。しかし深く掘り下げてみるとこれらの歴史的観光地でもあるのです。まさか現在の向島の姿から、豊臣秀吉が宴をしていたり、徳川家康が数か月間住んでいたりというのは想像できませんね。ぜひ京都を観光した際には向島の歴史にも思いを馳せてみてください。