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見て後悔はさせない!鹿児島城『鶴丸城』を徹底解説!【2018年版】

2024.02.25

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」の舞台となった鹿児島。 薩摩藩藩主・島津家や西郷隆盛など鶴丸城にゆかりのある歴史的人物の物語です。 今回は、鹿児島県の「鶴丸城の歴史」や鶴丸城と一緒に見て欲しいおすすめ観光地などを徹底解剖していきます。

  1. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鹿児島ってどんなとこ?
  2. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城とは
  3. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城アクセス
  4. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 初代薩摩藩主・島津忠恒と鶴丸城
  5. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城と一緒に訪れたいスポット①御楼門
  6. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城と一緒に訪れたいスポット②城山
  7. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城と一緒に訪れたいスポット③西郷隆盛洞窟
  8. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城と一緒に訪れたいスポット④西郷隆盛終焉の地
  9. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! 鶴丸城と一緒に訪れたいスポット⑤西南戦争薩摩軍本営跡
  10. 【鹿児島】おすすめ観光地「鶴丸城」を徹底解剖! まとめ
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引用: https://www.instagram.com/p/BqD7eZ2jorg/?utm_source=ig_web_copy_link
鹿児島県は、九州に南端に位置する県で、南西部にはいくつもの小さな島々が存在します。 鹿児島のシンボル「桜島」や霧島・指宿などの温泉地を始め、数多くの観光地があります。 そして、鹿児島といったらNHK大河ドラマに出てくる、13代徳川将軍に嫁いだ「天璋院 篤姫」や 明治維新で活躍した「西郷隆盛」「大久保利通」など歴史的人物の生まれた地として有名です。
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引用: https://www.instagram.com/p/BqEuI3YHV9m/?utm_source=ig_web_copy_link
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引用: https://www.instagram.com/p/Bnh_EqKn7Ai/?utm_source=ig_web_copy_link
鶴丸城とは、別名「鹿児島城」と呼ばれる日本の城で、 慶長6年にのちの島津家18代当主・初代藩主となる島津忠恒によって築城され、 島津家の居城として使われてきました。 鶴丸城の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことからこの名前が付けられたと言われています。 鶴丸城は日本で珍しい天守閣を持たない質素なお城でした。 しかし薩摩藩独特の体制を整えていて、後ろの城山を始め、鹿児島の自然豊かな地形を利用した外城を次々に整備していきました。 その結果、西南戦争の時には麓が政府軍で追い詰められたのちでも少人数だった薩摩軍が、 最後まで耐え忍ことができていたと言われています。 そして現在は、鶴丸城は鶴丸城跡地として残されており、多くの観光客で賑わっています。 昭和28年に鹿児島県の史跡として指定され、観光スポットとして多くの方が訪れています。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bo1RN5hgTQz/?utm_source=ig_web_copy_link
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引用: https://www.instagram.com/p/BoF9qE4j4Rb/?utm_source=ig_web_copy_link
〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町 アクセス: 【電車】鹿児島中央駅より 周遊・バスカゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車 徒歩すぐ。 【車】九州道鹿児島北ICより国道3.10号経由で約6km(約15分)
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引用: https://www.instagram.com/p/BqBTwqInfG4/?utm_source=ig_web_copy_link
関ヶ原の戦いの後、1601年に島津忠恒によって築城された鶴丸城。 島津忠恒(家久)といえば、沖田畷の戦いや戸閉川の戦いなどで島津家に昇進に大きく貢献した人物です。 そして、島津忠恒は後に薩摩藩初代藩主として武将となりました。 鶴丸城は、日本の城では珍しく天守閣を持たない縄張りで、 本丸と二の丸だけの、77万石の薩摩藩としては小規模で質素な本城でした。 それは「城をもって守りと成さず、人をもって城となす」という薩摩藩独自の思想を形にしたと考えられています。 その証拠に、鶴丸城背後には「城山」が控えていて、有事の時には天守閣の代わりとしての見張り台として利用していました。 「外城制」という領内の各地の山に支城を築いて家臣を配置させていました。 その外城の数はなんと113城と言われています。 この薩摩独特の体制によって、強力で無敵の体制が整えられていたと言われています。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bp_3sDMF30M/?utm_source=ig_web_copy_link
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引用: https://www.instagram.com/p/BhsfRyzgyDR/?utm_source=ig_web_copy_link
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引用: https://www.instagram.com/p/Bn5mtJklEVi/?utm_source=ig_web_copy_link
そして、鶴丸城本丸の大手門が御楼門であり、城壁などとは独立した建物であったことから「御楼門」と呼ばれているそうです。 御楼門は、武の国と言われる薩摩を象徴する堂々とした佇まいで、薩摩シンボルでもありました。 しかし、明治6年の火災によって居館と共に焼けてしまい、それ以降再建された記録がありませんでした。 しかし平成24年、この御楼門の復元プロジェクトが企画されているそうで、募金で建築費用などを集めている段階にあるそうです。 いつか、歴史ある御楼門の復元された姿を見てみたいですね。
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引用: https://www.instagram.com/p/BfXkRoFAU7j/?utm_source=ig_web_copy_link
JR鹿児島中央駅より市電鹿児島駅前行き10分「市役所前」下車、徒歩5分
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引用: https://www.instagram.com/p/BpwdS-PgH5e/?utm_source=ig_web_copy_link
鹿児島市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山で、鶴丸城跡のすぐ近くにあります。 展望所からは鹿児島市街地や桜島などの鹿児島の景色を一望でき、 デートや観光のスポットとして子供から大人まで人気のスポットです。 夜になると鹿児島市街地の明かりによって綺麗な夜景を眺めることができます。 そんな城山ですが、慶長6年「鶴丸城」を築城の際に城山も手を入れられ、麓にある屋形に何かあった時のための 後詰めの城「上之山城」として整備されました。 そして明治時代の西南戦争の時、その地形が大活躍しました。 この城山は、西南戦争終盤の激戦区として数多くの傷跡が残っています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BqB1BYgl9Px/?utm_source=ig_web_copy_link
アクセス:鹿児島中央駅より車で約11分
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引用: https://www.instagram.com/p/Bpfze2PnWgX/?utm_source=ig_web_copy_link
西南戦争終盤の明治10年9月19日〜24日未明までの6日間、西郷隆盛はこの洞窟で過ごしました。 その当時、薩軍と政府軍の城山攻防戦の最終段階の時で、政府軍により城山を包囲されている中、 西郷はこの洞窟で過ごし最後まで薩軍の指揮をとっていたとされる重要な場所です。 この洞窟にくる前は近くの宿に身を隠して指揮をとっていたと言われています。 西南戦争の史跡として、昭和49年に鹿児島市の史跡に指定されました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BorBir0BCe4/?utm_source=ig_web_copy_link
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引用: https://www.instagram.com/p/BoawJv3FR_k/?utm_source=ig_web_copy_link
鹿児島中央駅より 周遊・バスカゴシマシティビュー「西郷洞窟前」下車、徒歩すぐ
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引用: https://www.instagram.com/p/Bp8pKmABxcg/?utm_source=ig_web_copy_link
明治10年9月24日未明、城山を包囲した政府軍は一斉に砲弾攻撃を始めました。 薩軍は敵陣を目掛けて最後の抵抗をしました。 そして、西郷隆盛も最後まで薩軍とともに抵抗し腰も太ももに銃弾を受け、 この西郷隆盛終焉の地で別府晋介の介錯により、その命を遂げたと言われています。 西郷隆盛は、幕末の日本に明るい未来を築くために命をかけて走り続けた鹿児島の誇り高き英雄です。 その英雄の最期を迎えた場所として、地元の方はもちろん全国からこの地を訪れその歴史を語り継がれています。 城山には今もなお、西南戦争の傷跡として砲弾によりあいた穴などが残っています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BnlluM-Fd2-/?utm_source=ig_web_copy_link
アクセス:鹿児島駅より徒歩約15分
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引用: https://www.instagram.com/p/BT8LAsnlt9Q/?utm_source=ig_web_copy_link
西郷隆盛率いる薩軍は、明治10年9月1日に故郷の鹿児島に帰ってきました。 鶴丸城の後詰め城として使われていた城山の地形をうまく利用し、この薩摩軍本営跡地に立てこもりました。 9月24日の西郷隆盛の自決をし終結するその時まで、ここには薩軍の本営が置かれていました。 余談ですが、当時城山を包囲する政府軍は7万人、それに対し城山にこもり最後まで戦った薩摩軍はわずか372人でした。 政府軍にはかつての仲間や友達もいたそうです。 この絶望的な状況でも、最後まで身体を張って戦い続けた西郷隆盛率いる 薩軍の姿を想像すると尊敬と同時に悲しい気持ちになりますね。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bp6zdjHlOQ5/?utm_source=ig_web_copy_link
アクセス:鹿児島中央駅より周遊・バスカゴシマシティビュー「城山」下車、徒歩5分
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引用: https://www.instagram.com/p/Bc8jDNbAxbm/?utm_source=ig_web_copy_link
今回は、鶴丸城についてご紹介してきましたがいかがでしたか? 鶴丸城と薩摩独特の体制による城山での歴史は、とても壮絶でした。 圧倒的にフリな状況でも、堪えてこれたのは、薩摩独特の体制がかなり賢い手法だった証です。 島津家や西郷隆盛を始め多くの方の思いが詰まったこの地で、是非歴史を学びに訪れてみてください。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/kum07012004_TP_V4.jpg