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【2019年最新】茨城の有名な城完全ガイド!観光名所や歴史までご紹介♪

2024.02.25

日本の歴史と文化が色濃く残る茨城県には、大小様々なお城が点在し、天守閣はなくともその当時の光景が見て取れる城跡なども見られます。今回は茨城県の中でも有名なお城の歴史や観光の見どころなどを併せて解説していきますので、茨城のお城を巡ってみましょう。

  1. 茨城の有名なお城観光①土浦城:歴史
  2. 茨城の有名なお城観光②土浦城:見どころ
  3. 茨城の有名なお城観光③逆井城跡公園:歴史
  4. 茨城の有名なお城観光④逆井城跡公園:見どころ
  5. 茨城の有名なお城観光⑤水戸城:歴史
  6. 茨城の有名なお城観光⑥水戸城:見どころ
  7. 茨城の有名なお城観光⑦笠間城:歴史
  8. 茨城の有名なお城観光⑧笠間城:見どころ
  9. 茨城の有名なお城観光⑨真壁城:歴史
  10. 茨城の有名なお城観光⑩真壁城:見どころ
  11. まとめ
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引用: https://www.instagram.com/p/BvPuB6_HDKD/
室町時代に築かれたと言われる土浦城。現存する近世城郭となったのは1685年、松平信興によって改修されたと考えられます。明治維新後は、土浦城内の多くの建物が破壊され、残された建物もごく一部を除き天災などにより焼失しています。そのため、1980年代から復元計画が進み、現在では2基の櫓が復元されています。日本100名城にも選ばれている、現存する櫓門のあるお城として見ておきたいスポットの一つです。
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引用: https://www.instagram.com/p/BsmMfFenFZq/

■櫓門

本丸内に現存する櫓門。こちらは信興の改修以前1601年に建て替えられたものとされ、1656年の改築の際に櫓門へと改修されています。2階部分に太鼓を置き、時を知らせていたことから”太鼓門”と呼ばれていたことも。そして、2階の4面に窓が設けられているのも珍しく、希少価値の高い城門とした知られています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BuxLgxZn7Qc/

■櫓

かつて2代将軍の徳川秀忠が立ち寄るために、城内を整備した際に建築されたという2つの櫓「西櫓」と「東櫓」。当初は1620年に建てられた西櫓ですが、天災により破損したため、残された部分を利用し1992年に復元されています。内部は未公開のため、見学ができません。一方の東櫓は、西櫓よりも一回り大きく構造も異なります。1998年に写真を元に再建されており、こちらは内部が博物館の付属展示館となり一般公開されています。霞門に隣接していますので、一緒に見てみましょう。
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引用: https://www.instagram.com/p/BkvvETsgu30/

■霞門と旧前川口門

櫓門のほか、城内に存在する2基の門「霞門」および「旧前川口門」が現存しています。裏口の門である霞門は、1684年に築かれ、格式高い薬医門様式が採用されています。一方の旧前川口門の造りは、高齢門という形式が採用され、近世城郭においては一般的な門の形となり、使い勝手の良いスタイル。土浦城の曲輪と町屋を仕切る門だそうです。
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引用: https://www.instagram.com/p/BsaTyYRnN3h/
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引用: https://www.instagram.com/p/BtAOzhyFSA_/
東西420メートル、南北は320メートルと東京ドームのおよそ2.7倍の広さを誇る逆井城。そのうち63,000平米は逆井城跡公園となり、一部が県の史跡として登録されています。その昔、古城としてあった逆井城を大幅に改修し、戦国時代に後北条氏により築城されたとされているお城です。発掘調査に基づき、かつての城の姿を忠実に再現されている逆井城であり、加えて復元位置をずらし遺構を保存するように配慮された珍しい史跡が見られます。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bs-MSlFHbdS/

■井楼矢倉

井形を組んだ木材を使用し組み上げられている井楼矢倉。近世のお城で見られる櫓とは外見が異なる個性的な形が特徴的です。敵を高所から見張る目的以外の派手さはなく、立派な建物ではありません。近世城郭へと発展する以前、戦国時代の矢倉の特徴でもありますが、威厳や豪華さなど政治的な意味合いは特に持たないことが見てとれます。
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引用: https://www.instagram.com/p/BtAPT29FRTx/

■薬医門

逆井城跡公園から車で約20~30分の距離にある「関宿城跡」の城門と言われている門。関宿城が廃城となった際に建物の一部は民間に払い下げられたため、旧猿島町内の個人邸宅より移築されたものだそうです。
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引用: https://www.instagram.com/p/BvDotWvnu0v/

■空掘

公園の奥に行くと、土塁や空掘の一部も残されており、そこから当時のお城がどんなふうに建てられていたかを見られます。普段のお城観光とは一味違う目線から、土から成ると書くお城には土台となる土が重要だったことがわかります。土の遺構を”空掘”といい、掘った土を城の構成区画にのせていくことで、高低差を出すしくみ。堀底に侵入した敵を高さのある土塁から攻撃できるようにした工夫の一つ。
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引用: https://www.instagram.com/p/BQaUkGWB75c/
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引用: https://www.instagram.com/p/Bu0MQU9htpZ/
北側を那珂川、南側には支流の桜川(千波湖)で挟まれた日本最大級を誇る土造りの城。その規模に伴い、土塁も大規模なものが造られ城の西側には五重の堀が、東側の低地には三重の堀がめぐり堅固な防衛線が築かれるも、とうとう最後まで石垣が築かれることがなかったことでも知られています。東西に伸びる形で空掘が掘られており、石垣がない代わりに、台地の地形を上手に利用している様子が見て取れます。一層目の下部を海鼠壁によって覆い、まるで石垣の上に建てられているかのように見せていたそうです。
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引用: https://www.instagram.com/p/BjPXWrQgF5p/

■薬医門

水戸城跡の整備計画が進むなか、三の丸に造られた藩校弘道館と薬医門が現存しており、当時に思いを馳せることができます。他には、「水戸学の道」に沿う白壁塀、南北の登城口にあたる「杉山門」、そして「柵町坂下門」のモニュメントなど整備が次々と整っています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BuQkRFkHV--/

■三の丸外郭空掘および土塁

三の丸外郭の空掘と、当時の土塁が「旧県庁前」に残されています。三の丸および二の丸の間にあった堀は道路として、そして二の丸と本丸の間の堀は水郡線の線路となっています。中でも本丸を隔てる水郡線の堀の深さは特徴的であり、水戸城ならではの光景が広がっています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BoGIAlFnZI4/

■二の丸展示館

城跡から発見された出土品や、水戸城の歴史に関する資料などが展示公開されています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BsQXMCmnY6A/
1205年の鎌倉時代に、下野国の宇都宮頼綱の弟である朝業の子供、時朝により築城された城跡。「佐白山」の山頂付近にあるこちらの城址、天守閣は残っていませんが石垣の上に祀られている「佐志能神社」を見ることができます。また、現在でも見られる石垣の遺構は当時のものと考えられており、廃藩までの長い年月の間では、城主が幾度も入れ替わり居城として利用されてきました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BuQqX2mgiaE/
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引用: https://www.instagram.com/p/BiVKYlIApzZ/

■石垣

関東地方においては珍しく本格的な石垣のあるお城。石垣のほか、堀などの遺構も残されています。また、建造物の遺構として、当時本丸八幡台上にあったとされる「八幡櫓」が、笠間市内の「真浄寺」に移築され現存しています。そして、薬医門形式による城門の2棟が、市内に建つ民家に移築され、こちらも現存しています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BvNOQfeHyRP/
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引用: https://www.instagram.com/p/BuRQdibHjtl/
国史跡に指定されている「真壁城跡」です。「桜川市役所真壁庁舎」の東側、県道41号船沿いに位置するこちらの城跡。かつては南北に連なる「常陸三山」から、西方向に伸びる尾根の先端に位置するように建てられていました。その北側は田中川、そして南側は山口川に挟まれるように東西に長く伸びる敷地は、東西が900メートル、そして南北は700メートルを壮大な面積を誇ります。
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引用: https://www.instagram.com/p/BnlVT_PHFG2/
城自体の構造は、本丸を中心とした二の丸に中城が周囲を囲み、東側は外曲輪が配されます。そして城の西には城下町が広がり、その昔は賑わいを見せていました。二の丸から東側部分が比較的良好な遺構が残されており、国史跡としても知られている有名な城跡です。

■外曲輪

城の東端に位置していた広大な曲輪。その奥には筑波山がそびえ立ち、茨城の大自然から成る素晴らしい景色が楽しめます。外曲輪を取り巻くように盛られた土塁を当時の面影が残る貴重なスポット。曲輪内祀られている「鹿嶋神社」も必見です。とにかく広い外曲輪は、その昔のお城の規模や権力を彷彿させるものがあります。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bb_jYB2lmLc/

■二の丸

少し登る高台に位置する二の丸。周囲を囲む空掘の跡が今でも見られます。

■本丸

城の中心となる本丸へ向かうには土橋を渡り、本丸を囲む水堀、そして今、本丸の跡地には体育館が建設され残念ながら当時の面影を見ることはできませんが、その一角に祀られている稲荷は参拝することもできます。
茨城県の有名なお城について、その歴史や観光の見どころをお伝えしてきました。古くからの歴史が根強く残る茨城県ならではの城跡が多くみられ、建物はなくとも当時の光景やお城の規模は十分にわかると思います。戦国時代築城のお城も多数存在していた歴史をもち、かつての情景を想像しながら、ゆっくりと茨城のお城巡りをされるのも風情があり素敵な時間となることでしょう。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/BsQoNt4g98P/