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京都のおすすめ博物館ランキングBEST16【2018年度版】

2024.02.25

日本を代表する観光地「京都」。歴史ある寺社仏閣をはじめ、京都には数々の観光スポットがあり、関西でも人気のエリアです。そんな京都には美術館や博物館がいっぱいあります。子供から大人まで楽しめるおすすめの美術館・博物館を厳選してご紹介いたします。

  1. 京都
  2. 京都の文化財
  3. 洛中・洛外、通りの名前
  4. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報1 「琵琶湖疏水記念館」
  5. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報2 「野村美術館庭園」
  6. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報3 「重森三玲美術館」
  7. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報4 「橋本関雪記念館」
  8. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報5 「京都国立博物館」
  9. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報6 「河井寛次郎記念館」
  10. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報7 「何必館・京都現代美術館」
  11. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報8 「京都国立近代美術館」
  12. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報9 「京都市美術館」
  13. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報10 「京都ギリシャローマ美術館」
  14. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報11 「京都国際マンガミュージアム」
  15. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報12 「大西清右衛門美術館」
  16. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報13 「京都府京都文化博物館」
  17. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報14 「楽美術館」
  18. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報15 「高麗美術館」
  19. 【京都】刀や文化財などおすすめの美術館&博物館!イベント情報16 「角屋おもてなしの文化美術館」
  20. まとめ
「千年の都」、「日本人の心のふるさと」とも言われる京都は、街中に多くの世界遺産があり、文化都市ときて、また国際観光都市として世界中に知られている場所です。
京都を訪れる観光客は、年間5千万人にものぼり、国内はもとより世界各国から多くの人が訪れています。太平洋戦争の被害をほとんど受けなかった京都には、数多くの文化的遺産や古い街並みが当時のまま残り、京都市内には、二千あまりの自社仏閣があり、日本の国宝の20%、重要文化財の40%が京都に集まっています。
歴史の古い京都には、貴重な文化財が数多く残されており、美術・工芸・建造物など2000点以上が国の重要文化財に指定されています。その中の200点が国宝となっています。

京都の世界文化遺産

清水寺・仁和寺・平等院・下鴨神社・上賀茂神社・東寺・龍安寺・金閣寺・西芳寺・銀閣寺・天龍寺・醍醐寺・西本願寺・高山寺・宇治上神社・延暦寺・二条城。 二条城以外は皆、自社仏閣で、平等院と宇治上神社は宇治市内に、それ以外は全て京都市内にあります。
京都では、街の中心部を「洛中」、その周辺地域を「洛外」と呼んでいます。「洛」とは「都」のことで、首都が東京に移った今でも「洛」というと京都を意味しており、「京洛」とも呼んでいます。今でも「上洛」というと京都に行くことで、東京に行くことは「上京」といいますよね。
京都の街中は、碁盤の目のようになっており、1つ1つの通りに名前がついています。「六条七条通りすぎ、八条越えれば東寺道、九条大路でとどめさす」という言葉が昔から残されているように、似たような街並みが続く京都の街で、子供達が迷子にならないように小さいときから、唄われてきた言葉です。
平成元年にオープンした「琵琶湖疏水記念館」。琵琶湖疏水工事の設計図や疏水関係の絵図を展示している記念館です。

琵琶湖疏水

琵琶湖疏水とは、琵琶湖の水を京都市内へと運ぶ水路です。明治の時代となり、天王が東京ねと移り住み、東京が日本の都と定められました。その後造られたのがこの疏水で、琵琶湖の水を京都の街へと引き入れ、灌漑、上下水道、水運に活用しようと作られました。完成したのは、明治45年、長さは、33キロにもおよぶ大きな水路です。

南禅寺

琵琶湖疏水記念館のすぐ近くには、有名な「南禅寺」があります。歌舞伎などで、石川五右衛門が「絶景かな」と大見得を切る場面で知られる南禅寺は、京都・鎌倉五山の上の位に位置する別格扱いの格式の高いお寺で、日本全国にある禅寺の中でも一番格式の高いお寺です。臨済宗南禅寺派の大本山で、当初、京都五山の第一と称されていたのですが、足利義満によって京都五山の別格とされ、さらに鎌倉五山こ上にも置かれるようになりました。国の史跡にも指定されている広い境内には、勅使門、山門、法堂、などが一直線に並びとても美しい景色を作り出しています。なお、石川五右衛門が住んでいたという山門ですが、高さ22メートルの大きさで、山門の上からは京都市内を眼下に見下ろすことができ、思わず「絶景かな」と言いたくなるような景色です。南禅寺の門前には、たくさんの湯豆腐屋さんが軒を連ね、南禅寺名物となっています。
南禅寺と永観堂の間にある「野村美術館」。野村証券の基礎を築いた野村徳七が、明治から昭和にかけて集めたコレクションを公開、展示しています。数寄屋風の和の趣きをたたえた建物の中に、茶道や絵画、陶芸品など貴重な美術工芸品を約1300点程収蔵していて、公開しています。
吉田神社の近くにある「重森三玲美術館」。重森三玲は、東福寺の方丈庭園などを手掛け、昭和の作庭家として有名な「重森三玲」の旧宅と庭園を公開している美術館です。吉田神社の社家ときて名高い鈴鹿家の邸宅を重森三玲が譲り受けたもので、本宅と書院は江戸時代の建物です。三玲の力作の庭園には、本宅と書院のほか、三玲自ら設計して建てた2つの茶室があり、そちらも見所となっています。

重森三玲

庭園研究家・作庭家。日本美術学校で日本画を学び、華道・茶道も学んだ方。三玲作の庭園は力強い石組のモダンな庭園が多く、全国各地に三玲の作品がある。

吉田神社

重森三玲美術館の近くには、料理の神様ときて知られる崇められている「吉田神社」があります。吉田神社は、吉田山の山麓にあり、藤原山蔭が藤原一門の氏神ときて創建した神社です。室町時代に卜部かねともが吉田神道を唱えてから、吉田流神道の宗家として大きな力をもつようになりました。吉田山の西の斜面に大きく広がる境内には、10をこえる摂社や末社があり、その中には、お菓子の神様などたくさんの神様をまつっています。毎年2月の節分には、厄よけの祈願が行われて、その時にはたくさんの人で賑わいますをこの節分の参拝を吉田詣でといって、京都の年中行事の1つとなっています。
近代画壇の巨匠と呼ばれる橋本関雪の自宅とアトリエを兼ねた「白瑳村荘」を「橋本関雪記念館」ときて一般公開しています。関雪が自ら設計した一万平方メートルにもおよぶ庭園は、大文字山を借景とした見事な池泉回遊式庭園で、一年中美しく見られますが、特に秋の紅葉の時期は見事です。庭園には、関雪が収集した中国の石塔や石仏が数多く置かれ、ギャラリーには、関雪が自身の作品をはじめ、彼が長年にわたって集めた世界各国の古美術品などが展示されています。
東山七条にある広大な敷地をもった「京都国立博物館」。京都国立博物館は、明治30年に開館された日本を代表する博物館です。
館内には、27点の国宝を含む12000点もの貴重な文化財を収蔵・展示しています。旧本館は、宮廷建築家として知られる片山東熊の設計により、明治28年に建てられました。赤レンガ造りの立派な建物で、正門とともに国の重要文化財に指定されています。野外展示品も見るものが多く、ロダンの「考える人」や大日如来像などが展示されています。平常展のほか、一年に一、二回特別展を行っています。
東山五条にある「河井寛次郎記念館」。大正から昭和にかけた活躍し、「土と炎の詩人」と称された、陶芸家です。設計から内装品に至るまで寛次郎自らがデザインした彼の自宅兼、工房を公開したもので、寛次郎の使用した家具や生活用品、彼の作品などが展示されています。
大正・昭和に活躍した日本画家・村上華岳、昭和初期の洋画家・山口薫、昭和の陶芸家・北大路廬山人などの作品をはじめ、日本画、洋画、陶芸、書、写真などの幅広い分野の作品を収蔵、展示しています。美術館の五階には、庭園と茶室があり、そちらも見所です。
岡崎公園内にある「京都国立近代美術館」。昭和38年に、東京国立近代美術館の京都分館として開館しました。そして昭和42年に京都国立近代美術館として独立しました。国内外を問わず近代美術の紹介に力を入れています。近代・現代の作家達の絵画・陶芸・染織・写真・版画など約9300点以上を収蔵展示している現代美術の殿堂です。常設展の他、年間を通して様々な企画展やイベントが行われています。

岡崎公園

東山二条にある岡崎公園。岡崎公園は、京都の文化・観光・産業などの施設があつまる一大カルチャーゾーンです。その地には、平安時代に、すべて「勝」の字がつき、六勝寺と称された六つのお寺がありました。しかし、戦乱のよってお寺はなくなってしまい、明治維新のころには見渡す限りの荒れ野原となっていました。その荒れ野原を利用して、明治28年に平安遷都1100年記念事業の一環として内国博覧会が開催され、その跡地に平安神宮が建設され、その他、様々な文化施設がつくられ、岡崎公園として整備されました。公園内には、京都府立図書館や、京都国立近代美術館、京都市動物園、などがあります。
京都国立近代美術館の東隣にある「京都市美術館」。昭和天皇即位記念事業の一環として、昭和8年、東京都美術館に続き、二番目に建設された大規模公立美術館です。和洋折衷のようなレンガタイル張りの風格ある建物が目を引きます。東京都美術館と同じように、主に公募展などの貸し会場となっていますが、京都で活躍した近代・現代の芸術家達の作品を中心に独自の作品も収蔵・展示しています。
住宅街の中にひっそりとたたずむ「京都ギリシャローマ美術館」。館主の蜷川さん夫妻が、40年かけて欧州各地を巡り歩いて集めた個人のコレクションを収蔵・展示している手作りの美術館です、
「京都国際漫画ミュージアム」は、国内外の漫画に関する貴重な資料を多数収蔵、展示する日本初の総合的な漫画ミュージアムです。京都市から土地と建物の提供をうけ、まんが学部をもつ京都精華大学が平成18年に開いたものです。一般公開のギャラリーゾーン・研究ゾーン。資料収集ゾーンのほか、ミュージアムショップや、カフェもあります。建物は廃校となった旧の龍池小学校の校舎を増改築きたもので、旧龍池小学校の本館、講堂、北校舎、正門及び塀だった建物は国の登録有形文化財に指定されています。
大西清右衛門美術館は、茶の湯釜を収蔵、展示する美術館です。400年以上昔から湯釜を作り続け、当主が代々大西清右衛門を大西家16代当主が平成20年11月に開いた美術館です。歴代の当主の作品を収蔵展示するだけでなくわ茶の湯釜に関する研究と発表の場にもなっている美術館です。

六角堂

大西清右衛門美術館のすぐ近くには、活け花発祥の地といわれる「六角堂」があります。六角堂は、正式に「頂法寺」という天台宗のお寺で、お堂の屋根が六角形をしている為、六角堂と呼ばれています。六角堂は西国三十三ヵ所霊場の第十八番札所にもなっています。華道で知られる池坊の家元が住職を兼ねてきたことから、「活け花の発祥の地」と呼ばれるようになりました。六角堂の歴史は大変古く、聖徳太子の創建とも伝えられ、池坊の名前は聖徳太子が水浴したという池にちなんで生まれたと言われています。
三条通りから少し入ったところにある「京都府京都文化博物館」。京都の歴史と文化を紹介し、京都の総合文化センターともいえる博物館です。平成遷都1200年記念事業の一環として昭和63年に開館しました。京都の歴史資料や美術工芸品を収蔵展示し、名作映画の上映など様々な企画も行われています。旧館として使用されている建物は、旧日本銀行京都支店でつかわれていたもので、国の重要文化財に指定されています。
楽焼をはじめとする茶碗を中心として茶道関係の資料を多数、収蔵・展示している「楽美術館」。楽焼きとは、桃山時代に楽家初代・長次郎によって始められた前衛的な茶碗を焼く方法で、はじめは「今焼」とよばれていました。長次郎は、千利休の指導のもとで頭角を表し、豊臣秀吉にも認められわ「聚楽第」の名を名乗っていたことから、後に楽焼と呼ばれるようになりました。なので、楽焼の「楽」とはそれほど貴重な意味が込められています。長次郎は、そのあと「楽」を姓として名乗り、楽焼の家元となりました。現在は楽家15代目にあたります。今では手軽に楽しめる焼き物として親しまれていますが、昔は、楽家一門の作品だけが、楽焼とよばれていました。
加茂川中学校の反対側にある「高麗美術館」。高麗美術館は、朝鮮半島の美術館を収蔵・展示する国内でも珍しい美術館です。在日朝鮮人実業家・故・てんしょうぶん氏の収蔵したコレクション約1700点を展示しています。高麗時代を中心にして、青磁や白磁石のつぼ、屏風、家具など幅広い品を展示しています。
角屋おもてなしの文化美術館は、島原で揚屋を営んでいた角屋の建物を美術館として一般公開しています。建物は、江戸時代の揚屋建築として唯一現存するもので、国指定重要文化財に指定されています。数々の贅沢た調度品が多数残り、座敷や台所などと共に見学ができるようになっています。揚屋とは、置屋から舞妓や芸妓を呼んで遊興の場を提供したところです。角屋では、お茶会や句会も開催されていました。

島原

角屋おもてなしの文化美術館がある場所は、「島原」と呼ばれている地域です。西本願寺の近くにあり、花街として名高いところです。花街としての島原の歴史は古く、室町時代に足利義満によって認められた日本最古の公娼地がその始まりと伝えられ、豊臣秀吉からも許可されていたということです。江戸時代前期に現在地に幕府の命令で移ってきて、その時の移転の様子が、九州島原の乱のような騒ぎだったので「島原」と呼ばれるようになりました。江戸時代に全盛期をむかえ、幕末には新撰組なども遊んでいたという記録があります。しかし、格式が高いことから次第に客足も遠のき、現在ではわずかにいくつかだけが残り、かつての繁栄の面影を残しています。
京都のおすすめ美術館・博物館はいかがだったでしょうか?子供から大人まで楽しめる場所をたくさんご紹介いたしました。こちらを参考にお好みの美術館・博物館を見つけてみてください♪
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://wow-j.com/images/ext/allguides/00273/00273_002.jpg