【銀河鉄道の夜】解説まとめ:『銀河鉄道の夜』とは
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『銀河鉄道の夜』は、詩「雨ニモマケズ」や童話「セロ弾きのゴーシュ」「注文の多い料理店」などで有名な、宮沢賢治の作品です。いじめられっ子で常に孤独を感じている少年、ジョバンニが、親友のカムパネルラとともに、銀河鉄道の旅をする物語です。
【銀河鉄道の夜】解説まとめ:あらすじ
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『銀河鉄道の夜』の主人公はジョバンニという少年。ジョバンニの父は働きに出ていて家におらず、母は病気で臥せっています。ジョバンニは生活を支えるために毎日働いており、勉強も遊びも満足にできず、クラスメイトからいじめられる日々を過ごしていました。そんな彼に唯一同情してくれるのは、幼なじみであり親友のカムパネルラです。
牧場の裏の丘で寝転んでいたジョバンニは、気がつくと小さな列車の座席に座っていました。傍にはカムパネルラの姿があります。ジョバンニはカムパネルラとともに、列車で夜の銀河を巡っていくのですが、傍らにいたはずのカムパネルラは忽然と姿を消してしまいました。そして周囲の景色は、銀河から丘の上に変わっています。
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町に向かったジョバンニはそこで、カムパネルラがいじめっ子のザネリを助けようとして溺れ、行方不明になったことを知ります。ジョバンニは鉄道巡りの最中のカムパネルラの言葉を思い出し、それが何を意味していたのかを悟りました。カムパネルラの父親は、ジョバンニにジョバンニの父親がもうすぐ帰ってくることを伝えます。ジョバンニは父の知らせを持ち、母の元へ帰るのでした。
【銀河鉄道の夜】解説まとめ:ジョバンニについて
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『銀河鉄道の夜』のジョバンニですが、彼のモデルは宮沢賢治本人であり、幼なじみのカムパネルラは賢治の妹トシであると言われています。トシは賢治が特に可愛がっていた妹で、賢治よりも先に亡くなりました。トシの死を嘆き悲しんだ賢治は傷心旅行に出かけるのですが、その旅がジョバンニとカムパネルラの銀河鉄道での旅に繋がったのでしょう。
【銀河鉄道の夜】解説まとめ:「蠍の火」について
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『銀河鉄道の夜』の中でも有名なのが「蠍の火」のエピソード。一匹の蠍がイタチに追われ、井戸に落ちてしまいます。蠍は井戸の中で祈りました。
「自分は今までいくつものの命を取ったかしれない」「自分がイタチに捕まりそうになったときは一生懸命逃げた」「自分の身体をくれてやったら、イタチも一日生き延びたろうに」「こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次にはみんなの幸のために私の身体をお使いください」と。するといつか蠍は自分の身体が真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを見たそうです。
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この話は、自己犠牲の精神と、他者の幸せを願う大切さが表されています。そしてこの自己犠牲の精神と他者の幸せを願う気持ちが、『銀河鉄道の夜』の主題とも言えるものなのです。
【銀河鉄道の夜】解説まとめ:ほんとうの幸
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銀河鉄道の旅が終盤に差し掛かった頃、ジョバンニが「僕はもうあの蠍のように、本当にみんなの幸のためならば、僕の身体なんか百ぺん灼いてもかまわない」と言い出します。これは宮沢賢治の分身たるジョバンニが、自分を犠牲にしてでも他者の幸福のために尽くすこと、それこそが真の幸福なのだという結論に、一旦は達したということです。
【銀河鉄道の夜】解説まとめ:まとめ
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『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の逝去によって未完のままの作品です。多くの研究家や一般の読書家が、この『銀河鉄道の夜』について考察し、解説してきました。しかし宮沢賢治亡き今、どの考えが正解なのか、そもそも賢治の中に確固たる正解があったのかどうかはわかりません。
これは「ほんとうの幸」をテーマにした物語です。作中で「ほんとうの幸」とは、自分を犠牲にしても他者のために尽くすことだという答えが提示されているように思います。しかし本当にそれが「ほんとうの幸」だと、賢治は思っていたのでしょうか?
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『銀河鉄道の夜』の物語の最後、ジョバンニはカムパネルラの死を聞き動揺します。友を失い、深い悲しみに襲われたことでしょう。カムパネルラの父、そしてカムパネルラに助けられたザネリも同様です。ザネリはこれから長い時間を、罪悪感を抱えて生きていくことになるかもしれません。正しいことができてカムパネルラは幸せかもしれませんが、残された者に幸せはあるのでしょうか?
賢治は読者に『銀河鉄道の夜』を通して、「ほんとうの幸」が真実幸せなのか、ずっと問い続けてほしかったのかもしれません。皆さんは『銀河鉄道の夜』を読んで、どう感じるでしょうか?ぜひ一度『銀河鉄道の夜』を読んで、幸せについて考えてみてください。
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