【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】鈴木嘉和とは?
風船おじさんこと鈴木嘉和さんは1940年生まれで、1992年に所属不明になっています。鈴木嘉和さんは作った乗り物はゴンドラに風船を取り付けたというもので、風船だけで空を飛ぼうとしました。それによって風船おじさんと言われるようになりました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】風船おじさん前の経歴!
風船おじさんの鈴木嘉和さんはピアノ調律の両親の間に生まれました。親の影響で音大を卒業し、ヤマハに勤めるようになり、両親の同じピアノ調律を行うようになりました。ヤマハを退社してからは経営者になり、音楽教材の販売、サロン、レストランなどの経営をしていたそうです。
しかし、売上はあまりよくなく、経営していた店はすべて閉店し多額の借金を背負うようになります。その額は5億円とも言われています。この頃から鈴木嘉和さんに変化が出るようになりました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】博覧会で騒動を起こす
多額の借金を抱えた鈴木嘉和さんは冒険家として活動するようになりました。風船で太平洋を横断するという計画はこの時から行われていたそうです。横断を成功させて借金を返すとも語っていそすが、冒険家となった鈴木嘉和さんは様々な騒動を起こすようになりました。
鈴木嘉和さんの会社が倒産する約1年前に、横浜博覧会で騒動を起こしています。鈴木嘉和さんは博覧会で自身のテナントを出しますが、中々人が集まりませんでした。風船おじさんは着ぐるみを自作し、それを着てサイン会を行いました。
お客さんが集まるように工夫したのですが、実際は博覧会自体に問題があり、駐車場がないというのが人が集まらなかった原因でした。何とかして売上をあげたいと思っていた風船おじさんはなぜか、着ぐるみを着て近くの鉄塔に上り7時間籠城しました。
籠城した理由は鉄塔に垂れ幕を出すつもりだったそうですが、その垂れ幕には駐車場を開放してほしいという内容が書かれており、抗議の意味を込めて行った行動だったそうです。結局レスキュー隊を呼ばれ、降ろされました。
そして、協会と話し合いが行われ、博覧会で新たな企画をすることとなりました。それが、ゴンドラに風船を取り付けて空を飛ぶというものでした。博覧会では約20mほどでしたが、かなり好評で、これがきっかけで風船おじさんの挑戦がスタートすることになりました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】実験失敗
博覧会が終了し1年後に会社が倒産し、風船で太平洋で横断する目標を立てて成功すれば借金も返済できると周りに話していたそうです。そして、実験で鈴木嘉和さんは多摩川で飛行実験を行いました。最初はかなり順調に飛んでいたようですが、途中でトラブルが起きゴンドラが急激に上昇しました。結局近くの民家に不時着し、トラブルを発生させてしまいました。
しかし、スタート地点から約24キロほど離れた場所まで飛行し結果的に長距離の飛行に成功しましたが、トラブルが起きてしまった為、鈴木嘉和さんを追っていたマスコミも離れるようになってしまいました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】ファンタジー号事件とは?
そして、ファンタジー号事件が発生してしまいました。風船おじさんは太平洋を横断してアメリカに行くことが目標でした。その横断に使う乗り物の名前がファンタジー号です。太平洋を横断するのには国の許可が必要でしたが、ファンタジー号は安全ではないと判断され、国からの許可は得られませんでした。
許可が得られたかった風船おじさんは上昇実験中に突然ファンタジー号を繋いでいたロープを切り離し許可もないまま、風船おじさんは旅立ってしまいました。許可が下りずに目標の太平洋横断が出来ないと判断し、実験中に強行決行したもののおもわれます。また、マスコミが試験中に太平洋横断を目指すように後押ししたとの噂されています。
風船おじさんは実験中に携帯電話を所持していて、マスコミとも連絡を取り合っていたそうです。その時はガス漏れしたが問題ないことや、海まで到達したことなど連絡を取り合っていたようです。風船おじさんが飛びたったのが16時頃で、22時頃には家族ともやり取りをしていたそうです。そして、翌朝の6時に掛かってきた電話を最後に音信不通になってしまいました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】風船おじさんはどこへ?
音信不通になった風船おじさんからSOSの発信が出されました。この時点では消息不明ではなかったそうです。海上保安庁は捜索活動を行い風船おじさんとファンタジー号を宮城県沖で発見されました。音信不通になったのは携帯電話の電波受信範囲を超えた為と考えられます。
風船おじさんを見つけた海上保安庁は挑戦を続ける風船おじさんを見守りますが、3時間経過し監視を終え海上保安庁は去って行きました。その後行方不明になってしまいました。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】その後は?
行方不明になった風船おじさんは7年以上経っても見つからなかったことで遺体は発見されていませんが、死亡扱いとなってしまいました。遺体が見つかっていないので絶対に死亡したとは言い切れません。借金もあったそうですので、不時着し身を潜めたという噂もありました。
また、遺体発見のデマなども出たり、マスコミをその時の様子を取りあえげられました。現在まで一切情報がありませんので死亡した可能性が高いのではないでしょうか。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】風船おじさんの作品も!
作家の山崎晢さんが風船おじさんをモデルにした作品を書き、実際に舞台で上演もされました。また、音楽にも風船おじさんという言葉が出る作品もその後多くなっています。無謀な挑戦を行い結果的に行方不明となってしまいましたが、多くの方に愛されていたのは事実のようですね。
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】家族は?
風船おじさんには家族もあり、妻は同じ高校に通っていた1つ先輩の石塚由紀子さんという方です。実はその前にも結婚しており、石塚さんとの結婚は3度目でした。石塚さんはピアニストとして活動しており、石塚さんにとっても2度目の結婚だったそうです。2000年には「風船おじさん調律」という本も出版しています。しかし、2017年に少しして病気を患い他界しています。
石塚さんには連れ子がおり、石塚富美子さんという継子がいました。富美子さんはバイオリニストとして活動しており、女優としてNHKのドラマにも出演したことがあります。他にも二人の娘さんがいるようです。娘たちもコンサートなどを行っており父について話すことも多いようで、家族にもとても愛されていたようですね!
【ファンタジー号で突如消えた風船おじさん(鈴木嘉和)】まとめ
今回は冒険家の風船おじさんこと鈴木嘉和さんについて紹介しました。鈴木嘉和さんは波乱万丈な人生を送り、経営者もしていたのですが、借金を抱え会社が倒産してしまって風船おじさんになりました。太平洋横断の夢がありましたが、国からの許可が下りずにファンタジー号で太平洋横断を決行したこで行方不明になってしまい、遺体は発見していませんが死亡と扱われました。現在でも見つかっていませんので、亡くなった可能性は非常に高いのではないでしょうか。