1、秩父のウイスキーは世界一!?秩父のウィスキーとは
秩父ウイスキーは、2004年創業という大変若いウィスキーメーカー「ベンチャーウイスキー」が製造しています。秩父市街地より車で30分ほどの小さな「秩父蒸留所」で作られるウィスキーが、イギリスのウイスキー専門の雑誌「ウイスキー・マガジン」が主催する「ワールド・ウイスキー・アワード」で何度も受賞しているのです。そのブランドが「イチローズ・モルト」、世界で大人気のブランドで、今や愛好家がイチローズ・モルトを求めて世界中から秩父を訪れています。
2、秩父のウイスキーは世界一!?秩父の環境に育まれる
「秩父蒸留所」がある秩父地方は埼玉県の一番西のエリアで、秩父市は自然豊かな山岳地帯に囲まれています。奥秩父の白岩山あたりから始まる大血川渓谷水系の軟水が、ウイスキー作りの仕込みに使われています。大血川は、東京に向かって流れる荒川の支流です。
秩父の気候は、夏は35度を超えるような大変な高温多湿で、冬は氷点下10度を記録するなど、人が暮らすには大変厳しい環境です。しかし、この寒暖の差がウィスキー造りには幸いします。ウィスキーは、寒暖の差が大きいほど熟成度がはやく進み、そのことによって短時間で味に深みが加わります。同じ年月を熟成させた海外や他所のウイスキーよりも、味に美味しさや深みが増す所以です。世界的な人気の一端を、秩父の気候がウイスキー造りに一役買っているのです。
3、秩父のウイスキーは世界一!?創業者は
秩父のウイスキーの創業者は、株式会社ベンチャーウイスキー代表取締役社長社長・肥土伊知郎さんです。江戸時代から続く造り酒屋の末裔で、祖父の時代に東亜酒造という会社になったそうです。ご本人は、大学で醸造学科を学びましたが家業を継ぐ意思は全くなく、卒業後は「サントリー」に就職、“ここで骨を埋める”覚悟だったといいます。お父さんの代になっていた東亜酒造の経営が行き詰まり、「戻ってこないか」というひと言が肥土さんの人生を変えることになります。
4、秩父のウイスキーは世界一!?歴史①苦難の時代
東亜酒造に戻ると決めた時は、なんとか立て直せるかなと思っていたそうです。しかし、世の中そんなに甘くはありませんでした。結局、当時できたばかりの民事再生法の適用を受けることになります。自主再建の道をあきらめ、東亜酒造を関西の酒造会社に譲渡することになったのです。従業員の雇用も確保できるし、東亜酒造という名前も残る…と。そこに至るまでの“どん底”から、光明を見いだせた瞬間です。肥土さんは、「その時の経験が今に生きている」といいます。
5、秩父のウイスキーは世界一!?歴史②ウィスキー造りの決意
祖父の時代から東亜酒造・羽生蒸溜所で造っていたウィスキーの原酒樽がたくさん残っていたそうです。当然20年近く熟成されていました。ところが、ウイスキー全体の人気が落ちていた当時は、経営を引き継いだ会社もその原酒を引き取ってくれなかったといいます。ウイスキーの場合、製造免許を持たない会社の倉庫では保管できない法律があります。
ウイスキーを製造している会社が少ない中、八方手を尽くして諦めきれずにいた、そのとき『原酒を捨てるのは業界の損失』と郡山市の笹の川酒造・山口哲蔵社長が『ウチで預かってあげる』との助け船が出たのです。肥土さんは、【20歳になった羽生蒸溜所の子供たちを世に送り出すことが使命】と思ったそうです。それが、有名な「カードシリーズ」になっています。そして、自身で蒸溜所を作って、自らウィスキーを製造しなければならないという決意になります。2004年のことです。
6、秩父のウイスキーは世界一!?歴史③ウィスキー造りが本格化
「イチローズ・モルト」というブランドで売ることになったウィスキー、ここに至るまでも面白いエピソードはあるのですが割愛します。2007年11月に秩父蒸溜所が完成し、ウイスキー製造免許が2008年2月に取れて、秩父での製造が始まります。2008年に仕込まれた最初のモルトウイスキーの出荷は2011年です。その前に販売された「羽生蒸溜所の子供たち」の中から、イギリスの「ウィスキーマガジン」のモルト部門の賞を獲得して、いよいよ快進撃が始まります。
7、秩父のウイスキーは世界一!?世界の賞を獲得
引用: https://twitter.com/seikogene/status/816328056239308800?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E816328056239308800&ref_url=https%3A%2F%2Ftravel-star.jp%2Fposts%2F1006
2006年にイギリスのウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」、ジャパニーズモルト特集の中で「イチローズ・モルト」のカードシリーズ「キング オブ ダイヤモンズ」が、プレミアム・ジャパニーズウイスキー部門のゴールドメダル(金賞)を獲得しました。これによって、当時肥土さんは『少しは知名度が上がったかな』と感想を述べておられます。
2012年には、アメリカのウイスキー専門誌「ウイスキーアドボケート」から、秩父蒸留所で始めてリリースされたモルトウイスキー「秩父 ザ・ファースト」が「ジャパニーズウイスキー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。秩父蒸留所で造られた最初の「イチローズ・モルト」、記念すべきウイスキーになっています。
秩父蒸留所のイチローズ・モルト「秩父ウイスキー祭2017」が、イギリスのウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」が主催する「ワール・ドウイスキー・アワード2017」の「ワールドベスト・シングルカスクシングルモルトウイスキー部門」で世界ナンバー1を受賞しました。550銘柄の中から選ばれた、秩父蒸留所のウイスキーが世界最高賞です。6年間シェリー樽でじっくり熟成された「秩父ウイスキー祭2017」は、2017年の秩父ウイスキー祭りで限定293本しか販売されていません。貴重なんですね。
2018年、イギリスのウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」が主催する「ワールド・ウイスキー・アワード2018」は、「ワールドベスト・ブレンデッドウイスキー・リミテッドリリース部門」にイチローズ・モルト「モルト&グレーン ワールドブレンデッドウイスキー リミテッドエディション」がまたまた世界最高賞を獲得しました。
8、秩父のウイスキーは世界一!?秩父ウィスキー祭り①
秩父では年に1度、ウイスキー祭りが開催されます。ウイスキー祭りは2014年に始まり、会場は毎年秩父神社の境内になっています。国内はもちろん海外からの有名メーカーや輸入業者がウィスキー祭りに集結する一大イベントです。ウィスキー祭りの会場では、「イチローズ・モルト」のほかいろいろなウイスキーの試飲ができます。2018年のウイスキー祭りは、2月18日(日)に開催されました。因みに、前売り券は1枚3500円、当日券は1枚5500円で販売されました。未成年者は親等の同伴があっても入場はできません。2019年以降のウイスキー祭りは、HPやFBでご確認ください。
9、秩父のウイスキーは世界一!?秩父ウィスキー祭り②セミナー
ウイスキー祭りのもう一つの目玉は、10個以上行われる各種のセミナーです。セミナーの参加にはウイスキー祭りのチケットと各セミナーのチケットが必要です。ウイスキー祭りのチケットを持っていればほとんどが無料ですが、中には追加チケットが必要な有料のセミナーもあります。2018年は、「秩父蒸溜所10周年記念 大地と森と時の恵みイチローズ・モルト」、「スペイサイド、40年前の光景」、「カスクフィニッシュの探求」、「現行ウルトラプレミアムを知る」、「シェリーカスクのウイスキーを追求する」、「厚岸蒸溜所の1年目の挑戦」、「ウルフバーンの全てを知り尽くす男が語る ウルフバーン蒸溜所の製造現場」、「津貫蒸溜所最前線2018」などが秩父神社“欅”セミナー会場と秩父地場産センターセミナー会場で開催されました。
10、秩父のウイスキーは世界一!?秩父蒸留所工場見学
酒販店や飲食関係のプロの方や企業の方、業界関係者の工場見学は行っていますが、残念ながら一般の方の工場見学は行っていません。では、一般は工場見学ができないのか?そうではありません。ウィスキー祭りに合わせて、工場見学オープンデーというのがあります。工場見学オープンデーに参加するためには、ウイスキー祭りのチケットと工場見学のチケットの2枚が必要です。工場見学ツアーは、秩父神社より貸切バスで30分程度、工場見学の所要時間はおよそ1時間ほどです。一般の方でも工場見学ができる貴重な見学イベントになっています。
11、秩父のウイスキーは世界一!?肥土さんの飲み方と夢
肥土さんのウィスキーの飲み方を伝授します。まず、最初に香りを楽しみます。次に一口含んで味を楽しみます。その後はチェイサーで口をリフレッシュするそうです。そしてまた味を楽しむ、その繰り返しが肥土さんのスタイルだそうです。因みに半分ほど飲んだら、ほんの少しだけ水を加えるのもおすすめとのことです。そうすることによって、フワッとした香りが立ってくるといいます。ぜひ、一度お試しあれ。最後に肥土さんの夢は、秩父蒸溜所で仕込んだ30年物のシングルモルトを飲むことだそうです。肥土さんが70歳を越えたくらいにできるとのことで、とても楽しみにしているとのことです。
企業プロフィール
事業所名:株式会社ベンチャーウイスキー
代表者:肥土伊知郎(あくといちろう)
創業:2004年9月
資本金:4100万円
従業員数:20名
住所:埼玉県秩父市みどりが丘49 TEL:0494-62-4601
まとめ
いかがでしたか?秩父のウィスキー「イチローズ・モルト」、世界で愛される理由が少しだけわかったような気がします。まだまだ小さい工房で、大量に造るわけにはいかないとのことですが、その分手間暇かけ楽しんでいただけるウィスキーを追求しています。大企業ではできないウィスキー、秩父のほどよい環境の中で生まれるウィスキー、飲んでみたくなったのではありませんか。