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【2019年版】富山の伝統工芸を巡る旅!歴史や特徴などもチェック

2024.02.25

富山県には、高岡市を始め多くの場所に伝統工芸品があります。中でも「高岡漆器」「高岡銅器」「井波彫刻」「越中和紙」「越中福岡の菅笠」「庄川挽物木地」の6品目は国が指定している伝統工芸です。今回は、富山の観光スポットにある伝統工芸品の歴史や特徴を紹介します。

  1. 富山観光スポットにある伝統工芸品① 高岡銅器
  2. 富山観光スポットにある伝統工芸品② 高岡漆器
  3. 富山観光スポットにある伝統工芸品③ 井波彫刻
  4. 富山観光スポットにある伝統工芸品④ 越中福岡の菅笠
  5. 富山観光スポットにある伝統工芸品⑤ 越中和紙
  6. 富山観光スポットにある伝統工芸品⑥ 越中瀬戸焼
  7. 富山観光スポットにある伝統工芸品⑦ 庄川挽物木地
  8. 富山観光スポットにある伝統工芸品⑧ とやま土人形
  9. 高岡市の観光スポット 
  10. 富山で伝統工芸品の歴史に触れてみよう
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引用: https://www.instagram.com/p/BudbLe8AYeF/
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引用: https://www.instagram.com/p/BunwYPDnFGG/

高岡銅器の歴史

高岡銅器の起源は、今から400年以上も前の江戸時代にさかのぼります。1609年に加賀藩二代目藩主の前田利長が高岡城に入城したときに、城下の発展を図るために7人の鋳物師を迎え入れたことが始まりと言われています。その鋳物師たちを中心に高岡市金屋町を作り、農具や鍋などの日用品を生産していましたが、1830年代には銅器の生産も始め、明治時代には、オーストリアやロンドン、パリなどのヨーロッパで開催された万国博覧会に出展し、ジャパネスク旋風を巻き起こし全国的に認知されるようになりました。1975年には、日本初の国の伝統工芸品として指定されました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BoQFaF6nSCH/

高岡銅器の特徴

農具などの日用品から始まり、明治・大正時代になると置物や茶道具などの生産が盛んになった高岡銅器は、仏具や花器などの小物の他にも梵鐘や仏像などの大物までさまざまな作品があります。そんな高岡銅器の特徴は、職人の熟練した鋳造技術と研磨、彫刻、象嵌と言った加工技術の素晴らしさです。技術が融合された高岡銅器は、表現豊かで力強さ、繊細さを楽しめるのが特徴と言えるでしょう。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bnppm0MncB9/

高岡漆器の歴史

高岡漆器は、1609年に加賀藩藩主の前田利長が高岡城を築城し、武具や日用品の生産が始まったことから高岡漆器が生まれました。高岡城は、一国一城令によってわずか5年で廃城となってしまいましたが、高岡市は商工業の街として生き残っていきます。その後、中国から漆を塗り重ねる堆朱や堆黒などの技術が伝わり、そこに貝殻を使って装飾を施す螺鈿や蒔絵、存星などの多彩な技法が加わり現在の高岡漆器ができあがりました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BiZeaYOA9tF/

高岡漆器の特徴

高岡漆器は、盆や箱、茶たくなど多くの種類があり、作風の幅が広いので、さまざまな作品を楽しむことができます。また、くり木地や挽物木地、曲物木地、指物木地など、木地の製法にもこだわっています。塗の特徴は、貝殻を使った青貝塗やさび漆を使って描く勇助塗、木地に草木や鳥などの彫刻を施してから漆を重ねて立体感を楽しむ彫刻塗などが特徴です。いずれの漆器も、多くの工程があり、高度な技術と繊細な手作業によって作られています。
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引用: https://www.instagram.com/p/Bq81dmljPm_/
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引用: https://www.instagram.com/p/BrMVVp3jZWn/

井波彫刻の歴史

1390年に本願寺五代綽如上人が後小松天皇の勅許により井波別院を創設しました。何度も焼した井波別院ですが、江戸時代中期に再建した時には、京都本願寺より御用彫刻師前川三四郎が派遣された時に、地元の大工七右衛門ら4人が彫刻の技法を学んだのが井波彫刻の始まりとされています。1792年に瑞泉寺勅使門の菊の門扉と両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は七右衛門の代表作で日本彫刻史上の傑作と言われています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BraC5Von62p/

井波彫刻の特徴

井波彫刻は、クスノキやキリ、ケヤキなどの国産木材を使用して、花鳥風月、人物、動物などを題材に欄間や置物、つい立てなどを製作しています。立体的で躍動感のある井波彫刻は、ノミや彫刻刀を200本以上使用して、両面からほどこす「透かし深彫り」が特徴で、職人の技術の高さを象徴しています。近年では、ギターやベースにも彫刻されており、新しい可能性に挑戦しています。
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引用: https://www.instagram.com/p/Buc3D_nhxhD/

越中福岡の菅笠の歴史

小矢部川流域に位置する福岡町は、河川の氾濫で沿岸一帯が沼地化して菅草が自生したことから、蓑づくりが盛んでした。その後、京都の禅僧もしくは江戸初期に福岡町に移り住んだ伊勢の人が菅笠づくりを教えたことから、盛んに行われるようになったと言われています。江戸時代に加賀藩の奨励を受けて本格的な菅笠の生産が始まり、2017年11月30日に国指定伝統工芸品になりました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BuVg63_BlaA/

越中福岡の菅笠の特徴

良質な菅草を活かした越中福岡の菅笠は、農作業での日よけ、雨除けの他、日本各地の伝統行事や祭りの道具として使用されています。その特徴は、肥後状に加工したタケを円錐状に組み立てる傘骨作りと菅笠用に栽培した菅を傘骨に縫い付けていく笠縫を男女の分業により行うことが特徴です。400年以上前の技術を現在まで継承されている越中福岡の菅笠は、全国シェア9割以上を占めるとされており、伝承技術によって保たれている高品質な菅笠を出荷し続けています。
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引用: https://www.instagram.com/p/BF7vF27AgGY/

越中和紙の歴史

越中和紙は、五箇山和紙、八尾和紙、蛭谷和紙の3つの生産地で製作されている和紙の総称です。越中和紙の起源は定かではありませんが、774年の奈良時代の書物「図書寮解」に紙の産地として越中の記述が残っているので、この頃にはすでに紙の産地として知られていたと考えられます。越中和紙の中でも、八尾和紙の生産が盛んになったのは、江戸時代の1688年ごろとされており、富山藩藩主前田正甫によって売薬が奨励されるようになりました。その時に、薬を包む紙、顧客名簿である懸場帳、薬売りが持ち歩くカバンの素材として八尾和紙の需要が高まったからとされています。また、五箇山和紙は、江戸時代に加賀藩の御料紙として使用されていました。伝統的な製法を受け継ぐ越中和紙は、1984年に国の伝統工芸品の指定を受けました。
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引用: https://www.instagram.com/p/5GoiTlssvX/

越中和紙の特徴

越中和紙の特徴は、産地ごとに用途が違うため数多くの種類があることです。五箇山和紙は、障子や絵画、版画用、文化財補修用として流通しています。蛭谷和紙は、書画用がメインとなっています。また、八尾和紙は、型染と言う独特の製法で作られた模様紙や和紙加工品が特徴です。いずれの和紙も丈夫で生活の中で使われているのが特徴と言えるでしょう。
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引用: https://www.instagram.com/p/BqlcGtFAVqb/

越中瀬戸焼の歴史

越中瀬戸焼は、1590年前後から420年以上も続く古窯で、加賀藩主の前田利長が尾張国瀬戸より陶工の彦右衛門を招いて焼かせたのが起源とされています。藩の御用窯として栄え、越中国随一の磁器産地として名をはせた越中瀬戸焼は、すり鉢やおろし板などの日用品から茶器など幅広く生産していましたが、明治に入り衰退しました。しかし、昭和初期から地元の人々の熱意で見事に復興を遂げました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BnI86J0FTh9/

越中瀬戸焼の特徴

多彩な釉薬と大胆な施釉が特徴の越中瀬戸焼は、伝統を受け継ぎつつも素朴でおおらかな焼き物です。多彩な釉薬は植物灰などの自然素材から作られ、原料となる土も全て地元のものが使われているのが特徴です。また、館山長新瀬戸地域で獲れる良質な白土は、鉄分が少なく粒子が細かいので、薄くて軽い高品質の陶器を作り出せるのが特徴です。
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引用: https://www.instagram.com/p/BeSkfcoAATc/

庄川挽物木地の歴史

加賀藩の用材調達のため、飛騨御用木が庄川を利用して流され、貯木場に蓄えられたことから、北陸随一の木材集産地となりました。庄川挽物木地は、後に越後谷清次が移住してろくろ挽物の生地屋を営んだのが始まりとされています。明治時代には、木材の集積地として地の利を生かし、和島や高岡などの漆器産地の木地生産地として有名になりました。
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引用: https://www.instagram.com/p/BjwZsUmFKUH/

庄川挽物木地の特徴

庄川挽物木地は、トチやケヤキ、マツ、サクラ、イヌエンジュ、クワ、カツラなどの木材を使用し、横ロクロ及びぜんまい鉋を使って荒挽き及び荒仕上げ削りを行っているのが特徴です。職人がロクロによって作り出す木地は、木目が美しく使い込むほどに美しさが増してきます。
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引用: https://www.instagram.com/p/Be9x4jeHdbU/

とやま人形の歴史

1848年ごろに富山藩藩主前田利保が名古屋の陶工広瀬秀信を富山に呼び、千歳御殿に窯を築いて千歳窯を作りました。その子、安次郎が陶器づくりの傍ら天神臥牛を焼いて献上したのが始まりと言われています。当時、城下には土人形を作る窯元は数軒ありましたが、広瀬家より技法を学んだ渡辺家だけが家業として伝統を守り続けていました。しかし、後継者が絶え現在では、とやま土人形伝承会が伝承技法を受け継いでいます。
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引用: https://www.instagram.com/p/BNi9PFehiFx/

とやま人形の特徴

型に入れ800度で素焼きしたものに絵具で彩色する土人形は、素朴で暖かい風合いを持ち縁起物や魔除け、子供のおもちゃとして親しまれています。天神信仰の強い富山では、学問の神様である天神様を始め、招き猫や干支、抱き雛など行事に関する郷土色の強い土人形を作成しているのが特徴と言えるでしょう。
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引用: https://www.instagram.com/p/BiJndiXA6w_/
400年以上の歴史がある高岡市や富山市には、伝統工芸品や伝統文化を感じる観光スポットが数多くあります。例えば、高岡市には、鋳物メーカー「能作」が手掛けるおしゃれなギャラリー「GALLERY NOUSAKU」や高岡漆器を扱う「クラフトショップ&ギャラリーB’come」、日本クラフトデザイン協会との共催によるさまざまな企画展を行う「クルン高岡B1ギャラリー」などがあります。また、高岡市の金屋町は、高岡銅器発祥の地。石畳の両脇に昔ながらの千鳥格子の建物が軒を連ね当時の賑わいを彷彿とさせます。
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引用: https://www.instagram.com/p/BeR_saAFxIA
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引用: https://www.instagram.com/p/Bc_qg29DBzq/
代々の藩主「前田家」のおかげで、モノづくり文化が発達して数多くの伝統工芸品が作られてきた富山県。県内では、伝統工芸の名品を見学できる他、職人から直接手ほどきを受けられる体験型観光ができます。特に高岡市には、数多くの伝統工芸品があります。富山県や高岡市を観光した時は、伝統産業を体験してみてはいかがでしょうか。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/BuFtjh2h4g2/