【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】事件概要
栃木リンチ殺人事件とは1999年12月4日に栃木県で起きた少年達による拉致、監禁、暴行、恐喝、殺人、死体遺棄事件で、少年犯罪です。
この残忍な事件の主犯格は萩原克彦で、暴力団の関係をちらつかせ梅沢昭博と村上博紀に対して金銭の要求をするいじめ行為を行っていました。しかし、金銭要求に耐えられなくなった梅沢と村上は萩原にそのことを話すと、代わりの人間よう用意しろと言われて梅沢は同僚の須藤正和さんに「やくざに車をぶつけてしまったのでお金を貸して欲しい」と呼び出しました。
そして、梅沢は須藤正和さんをコンビニに呼び出して萩原と対面しました。萩原はすぐに暴力団の関係をちらつかせ、須藤正和さんから現金7万円を奪いました。これに味をしめた3人は須藤正和さんは監禁して暴行するようになりました。
殴る蹴るの暴行や高温のシャワーをかけたり、殺虫剤のスプレーの噴霧に火をつけたりとリンチを繰り返し行いました。
被害者の須藤正和さんの両親は会社の上司から無断欠勤が続いており、須藤正和さんにお金を貸したという社員がいることを聞かされ何かの事件に巻き込まれていると感じ警察へ捜索願を提出しました。
しかし、警察は事件でないと対応しないとし取り合ってもらえなかったそうです。父親は監禁されている可能性があるとしその後の警察に行ったそうですが、「当てずっぽうで話すな」と一蹴したそうです。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】警察の大失態
須藤正和さんの両親は梅沢と村上の両親に集まってもらい事情を報告し協力してくれるようにお願いしました。村上の父親が犯人は萩原かもしれないと話したそうです。
そして、両親はすぐに近くの警察署に向かい捜索願を提出しましたが、別の警察署で提出されているという理由で受理してもらえませんでした。須藤正和さんの両親と梅沢、村上の両親は元々捜索願を提出していた警察署に向かいましたが、警察は全く動こうとしませんでした。
そこに偶然須藤正和さんから電話があり、警察が両親の友人を装って犯人の萩原の対応をしました。その際に萩原は「あんた誰だ」と友人を装った警察官に聞き、警察官は「警察官だ」と応答するミスを犯してしまいました。すると電話はすぐに切られてしまいました。警察が須藤正和さんの行方を捜していることに気づいた萩原らは殺害する計画を立てました。
また、萩原の父親は実は警察官で須藤正和さんが行方不明になっている事件に関係していることを認識していたのにも関わらず息子にこのことを尋ねることはなかったそうです。
殺害当日には萩原、梅沢、村上とは別に遺体を埋める穴を掘るために高校生も手伝うように呼び出されました。穴を掘った萩原らはネクタイで須藤正和さんの首を絞めて殺害し、痛いを穴に埋めセメントで固めました。その後それぞれ自宅に帰宅しましたが、高校生が罪悪感にかられ母親に話し警察に出頭したことで事件が発覚しました。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】萩原克彦とは
栃木リンチ殺人事件の主犯格の萩原克彦は父親が警察官でした。幼少期からいじめ行為を繰り返していたそうで、かなりの問題児だったそうです。中学を卒業してからは専門学校に入学しますが、中退しとび職や土木関係の仕事に就いたそうです。しかし、勤務態度は非常に悪かったそうです。
栃木リンチ事件前にも金銭を巻き上げる事件を繰り返し検挙されたこともあったそうですが、父親が現金を持って謝罪に訪れ示談で問題をおさめており、萩原が問題を起こしたら両親が謝罪するという甘やかされた環境で育ちました。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】梅沢昭博とは
梅沢昭博は事件前に両親が離婚しており、母親は父親からDVされていたそうです。また、父親はお金遣いも荒く、養育費は一切払わずに母親はずっと働いていたそうです。中学生の頃はいじめられていたそうですが、明るい性格で同級生からは好かれていたそうです。しかし、中学卒業してから進学した先でもいじめられお金を巻き上げられていたそうです。
そんな時に梅沢は暴走族に入り、暴走族仲間とつるむようになりました。そこで村上と知り合いました。その後、高校を卒業し日産栃木工場に就職します。入社してから交通事故を起こし、長期休暇を取得してから萩原と村上の3人で遊ぶようになったそうです。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】村上博紀とは
村上博紀は両親と母方の祖母と暮らしていたそうです。高校は作新学院に進学しましたが、暴走族に加入していたことが高校にバレて退学になっています。母親は更生してほしいと願っており、運転免許書を取得させ、車も買い与えたそうです。この車は事件でも使用されていたそうです。
運転免許を取得して警備会社に就職しましたが、入社してすぐに休暇をとり、勤務態度が悪いとして解雇になりました。その後萩原の紹介でとび職の会社に入社しました。とび職を退職してからも、萩原の側にずっといたそうです。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】萩原と梅沢の判決
須藤正和さんはリンチして殺害し、遺棄した萩原、梅沢、村上、高校生の判決はどうなったのか?未成年の少年犯罪でしたが、東京家庭裁判所は刑事処分になりました。2000年3月14日に宇都宮地方裁判所で初公判が行われ、加害者に判決が下りましたので紹介します。
まず、主犯格の萩原克彦と梅沢昭博には無期懲役の判決が下りました。裁判所は「犯行は計画的に凶悪。極めて自己中心的で酌量の余地はない」と判断しました。萩原はこの判決を不服として控訴しましたが、東京高等裁判所は棄却し判決が確定しました。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】村上の判決
村上博紀は懲役5年から10年の判決が下りました。村上は梅沢と同じ行動を取っていましたが、判決が異なったのは村上は直接須藤正和さん殺害に手を下していなかったのでこの判決となりました。
出頭した高校生が事件発見の糸口となったため情状酌量が考慮され少年院に送られる処分になりました。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】警察の処分は?
今回の事件は警察の対応が大きな問題となっています。そのため国家賠償法に基づき、被害者家族は損害賠償1億5000万円を求める民事裁判を起こしました。しかし、その後高等裁判所で「栃木県警の怠慢がなくても被害者を救出できた可能性は3割程度」と判断し1100万円の賠償命令が下されました。被害者遺族は納得出来ずに上告しましたが、棄却され1100万円の賠償で確定しました。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】現在の犯人は?
事件から約20年が経とうとしている現在ですが、村上は懲役5年から10年ですので釈放されています。都内の警備会社で働いていると噂されていますが、その後の真相は不明でした。
萩原と梅沢は無期懲役の判決になっています。現在の無期懲役の上限は最長で30年で服役30年以降に仮釈放の審理が行われるので現在も二人は服役中です。事件を起こしたのは未成年の時ですので生きている間に釈放される可能性が非常に高いです。無期懲役の最長の30年を経過して仮釈放されても50歳前後になります。そのことを考えると30年は短すぎると言えるのではないでしょうか。
【栃木リンチ殺人事件!萩原克彦・梅沢昭博・村上博紀の生い立ち】まとめ
今回は栃木リンチ殺人事件の概要と犯人の萩原、梅沢、村上について紹介しました。残忍な事件にも関わらず犯人の3人は生きている間に釈放される可能性が高いです。また、警察な怠慢な対応に多くの非難が集まった事件でした。